東京高等裁判所 平成6年(ネ)2081号 判決 1995年3月01日
二〇八一号事件控訴人・二一二九号事件被控訴人(被告) 宇都敏信
二〇八一号事件被控訴人・二一二九号事件控訴人(原告) シャネル エス アー
主文
本件各控訴を棄却する。
各事件の控訴費用は各控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた判決
一 第二〇八一号事件
1 第一審被告
(一) 原判決中、第一審被告敗訴部分を取り消す。
(二) 第一審原告の請求を棄却する。
(三) 訴訟費用は、第一、二審を通じて第一審原告の負担とする。
2 第一審原告
(一) 第一審被告の控訴を棄却する。
(二) 控訴費用は第一審被告の負担とする。
二 第二一二九事件
1 第一審原告
(一) 原判決中、主文第二、第三項を次のとおりに変更する。
第一審被告は、第一審原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成五年二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 訴訟費用は、第一、二審を通じて第一審被告の負担とする。
(三) 仮執行の宣言
2 第一審被告
(一) 第一審原告の控訴を棄却する。
(二) 控訴費用は第一審原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 原判決の引用
原判決事実摘示「第二 当事者の主張」記載のとおりであるから、これを引用する。
二 当審における当事者の主張の要点
1 第一審被告
(一) 第一審原告営業表示の周知性について
第一審被告が第一審被告営業表示を屋号として飲食店(第一審被告店舗)を開店した昭和四〇年ころ、我が国においては、一般に、今日におけるようなブランド志向の傾向はまだ見られておらず、「シャネル」の名称も、全国的に広く知られるというような状態には至っていなかった。
まして、右当時、右飲食店の位置する中目黒は、地下鉄がやっと開通したばかりという状態であり、この地域において「シャネル」の名称を知る者などほとんどおらず、現に第一審被告も知らなかった。
(二) 営業表示の類似について
第一審被告営業表示は、「シャネル」を含むといっても、それはれっきとした日本語の片仮名であって、シャネル社グループが商標登録しているという欧文字の「CHANEL」ではなく、また、「シャネル」単独で使用しているわけではなくて、「歌謡スナック」がその上に付加されているから、これをもって第一審原告営業表示と類似するとすることはできない。
(三) 混同のおそれについて
両営業表示の間の右のような相違や第一審被告とシャネル社グループとの間の営業の種類の相違等からみて、第一審被告営業表示に接する者が、第一審被告店舗が同グループと何らかの業務上、経済上、又は組織上の関係が存在するものと誤認するなどということは、およそ考えられないことである。
現に、第一審被告店舗に来る客、同店舗の周囲の者等の中から、右のような誤認をした者は、現在に至るまで一人として出ていないのである。
(四) 営業上の利益を害するおそれについて
第一審原告の主張は、第一審被告店舗が中目黒の「ガード下の飲み屋街」に位置する小さな歌謡スナックであることを理由に、第一審被告による第一審被告営業表示の使用が「シャネル」の高級イメージを害するとして、それを営業上の利益が害されるおそれの根拠とするものである。
このような差別思想に基づく主張が、現代日本の裁判で通用するとは思われない。
(五) 権利濫用について
大手大資本の外国企業グループの一員である第一審原告が、三〇年近くにわたり小さなスナックをこつこつと営業してきた第一審被告に対し、同グループが我が国におけるシェア拡大に成功したからというので、今ごろになって、店の名前を変えろ、金を払えと要求すること自体、昨今我が国の小・中学生の間で問題になっている「いじめ」と何ら変わらないものといわなければならず、このような要求が法の名の下に許されてよいはずがない。
(六) 損害について
第一審被告は、昭和四〇年の開業以来、シャネル社グループの営業を妨害したことがないのはもちろん、同グループに他にも何らの迷惑をかけたこともないから、第一審被告による第一審被告営業表示の使用による第一審原告の損害などというものはありえない。
2 第一審原告
(一) 逸失利益について
平成五年法律第四七号による改正後の不正競争防止法五条二項の規定は、自己の営業表示等を不正に使用されこれによって自己の営業上の利益を侵害された者は、当該侵害した者に対し自己の営業表示等の使用を許諾する可能性が現実にあったか否かにかかわらず、不正使用という事実のみに基づいて、仮に許諾するとすれば受けるべきであるはずの使用料を損害とみなして、これを請求することを認めたものである。
したがって、第一審原告は、第一審原告営業表示の使用を第一審被告に対し許諾する可能性が現実にあったか否かにかかわらず、仮に許諾するとすれば受けるべきであるはずの使用料を損害とみなして、これを請求することができるものといわなければならない。
なお、右規定が平成五年法律第四七号によって新設される以前においても、商標法三八条二項の類推適用により右と同様の扱いをするのが判例通説の立場であったのであり、右規定はこれを明文化しただけであるから、右法律の施行の前後によって扱いを異にすべき理由もない。
(二) 信用損害について
右に述べたとおり、第一審原告が逸失利益として主張する損害は、第一審被告が第一審原告営業表示を正当に使用するために、本来支払わなければならなかったはずの使用料に相当し、不正競争防止法五条二項一号の適用あるいは商標法三八条二号の類推適用により、第一審原告の現実の損害の有無にかかわらずその損害とみなすこととされたものである。
これに対し、第一審原告が信用損害として主張する損害は、第一審原告営業表示の高級なイメージを低下させられることにより現実に被った積極的な損害であり、右とは別に、不正競争防止法五条三項の適用あるいは商標法三八条三号の類推適用により、認められたものである。
したがって、これら両者は、それぞれ独立の損害として認められるべきものであり、一方が他方を排斥する関係にはないものといわなければならない。
そして、第一審原告が民法七二二条後段により請求権を否定される本訴提起(平成四年一〇月三〇日)前二〇年以前についてはともかくそれ以降については、一貫して、周知著名な営業表示については、一般に、同一あるいは類似の営業表示により業種を異にする営業主体同士の間にもいわゆる広義の混同を生ずるおそれがある状態が続いてきており、また、第一審原告営業表示は、遅くとも昭和三〇年代の初めには周知著名となっていたから、信用損害の額の算定に当たっても、本訴提起前二〇年以降のもの全体が基準にされなければならない。
第三証拠<省略>
理由
一 原判決の引用
当裁判所も、第一審原告の本訴請求は、「シャネル」の表示の使用の差止め並びに損害賠償金一〇〇万円及びこれに対する平成五年二月一〇日から支払済みまでの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がないものと判断する。
その理由は、二及び三に述べるところを付加するほかは、原判決の理由と同一であるから、その記載を引用する。
二 当審における第一審被告の主張について
当審における第一審被告の主張は、実質的に第一審におけるものの範囲を出るものではなく、それらがいずれも採用できないことは、原判決の説示するところに照らして明らかといわなければならない。
三 当審における第一審原告の主張について
原判決の述べるように、第一審原告の営業上の利益の侵害の内容が主に第一審原告営業表示の高級イメージの希釈化に求められるにすぎない本件においては、第一審原告主張の逸失利益の損害といい信用損害といっても、その実体は、高級イメージの希釈化に基づく無形の損害であり、具体的な売上げの減少ないしは得べかりし利益の喪失あるいは具体的に信用が害されたことに基づく損害とはいえないことは、第一審原告主張事実から明らかである。したがって、訴訟物としても同一のものというべきである。
そして、その損害の額は、原判決説示の諸事由に加え、第一審被告の過失が認められるのが昭和六二年以降であることによれば、不正競争防止法五条二項の適用あるいは商標法三八条二項の類推適用によっても、金八〇万円と認めるのが相当であり、これを超える損害が生じたことは本件全証拠によっても認めることができない。
これに反する第一審原告の当審における主張は採用できない。
四 以上のとおり、第一審原告の本訴請求は、「シャネル」の表示の使用の差止め並びに損害賠償金一〇〇万円及びこれに対する平成五年二月一〇日から支払済みまでの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを容認し、その余は失当として棄却すべきであり、これと同旨の原判決は相当であって、本件各控訴は理由がない。
よって、本件各控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 牧野利秋 山下和明 芝田俊文)
原審判決の主文、事実及び理由
主文
一 被告は、その営業上の施設又は活動に「シャネル」の表示を使用してはならない。
二 被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成五年二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用はこれを八分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。
五 この判決の原告勝訴部分は仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、その営業上の施設又は活動に「シャネル」の表示を使用してはならない。
2 被告は、原告に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する平成五年二月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者及びその営業
(一) 原告
(1) 原告は、ガブリエル・シャネルが設立したフランス法人レ パルファム シャネル(現在の商号はフランス法人シャネル エス アー)が製造、販売する商品その他世界中のシャネル社に関して、商標その他の知的財産権を有し、かつ、そのライセンス事業を行うスイス法人である(以下、フランス法人シャネル エス アー及び原告を含む他のシャネル社を総称して「シャネル社グループ」という。)。
(2) 原告の所属するシャネル社グループの起源は、ガブリエル・シャネルが一九一〇年にフランスのパリ市カンボン通りに帽子店を開店したことに始まる。一九一六年にガブリエル・シャネルが第一回目のコレクションを発表して以来、シャネルの商標を付した製品は、高級婦人服のみならず、香水、化粧品、ハンドバッグ、靴、アクセサリー、時計等にわたり、いずれも独創的なデザイン、最高の品質により、世界中で高い信頼を獲得し、いわゆるパリ・オートクチュールの老舗として世界的に知られている。一九二一年に同女は「シャネル五番」と称する香水を開発し、レ パルファム シャネルという会社を設立してこれを製造、販売したが、現在に至るまで「シャネル五番」は世界的なベストセラーを続けている。
シャネル社グループには、商標その他の知的財産権の管理等の法的事項を管轄する原告や、前記レ パルファム シャネルが一九五四年に商号を変更したフランス法人シャネル エス アーが存在している。
(二) 被告
被告は、東京都目黒区上目黒一丁目二二番一一号において、昭和四〇年三月から昭和四二年二月までは伊丹カツ子との共同経営で、昭和四二年三月から現在までは被告の単独経営で、「歌謡スナックシャネル」との屋号(以下「被告営業表示」という。)を使用して飲食店を経営している。
2 シャネル社グループの営業表示とその周知性
シャネル社グループは、昭和八年(一九三三年)に香水の日本への輸出を開始し、「シャネル」、「CHANEL」等の商標登録を昭和一〇年から昭和一四年頃にかけて行った。それ以来、独自のマーケティング戦略と厳格な品質管理により高い評価が形成され、日本において数ある海外有名ブランドの中でも格別の人気を誇っている。
従って、日本においても、シャネル社グループの営業表示であり、かつ原告の商標でもある「シャネル」(以下「原告営業表示」という。)は、シャネル社グループ全体のグループの営業であることを示す表示として、遅くとも昭和三〇年代の初めには周知となった。
昭和五五年一〇月にはシャネル株式会社が設立され、同社がシャネル社グループの一員として、日本におけるシャネル製品の輸入、販売を行っている。
3 不正競争行為
(一) 被告営業表示から「歌謡スナック」を除いた部分、すなわち「シャネル」の部分が、著名な営業表示である原告営業表示と同一であり、被告営業表示と原告営業表示とは類似している。
(二) 原告営業表示と類似した被告営業表示を営業上の表示として使用する被告の行為は、ファッション関連業界を初めとして経営が多角化する傾向にあること及び原告営業表示の周知性の高さを考慮すると、一般消費者が原告を含むシャネル社グループと被告とが業務上、経済上あるいは組織上何らかの関係を有するものと誤認、混同するおそれが大きいことは明らかである。
(三) 被告の不正競争行為が発覚したため、原告は、被告に対して被告の営業表示の変更をするよう警告を行ってきたが、被告は依然として被告営業表示の使用を継続している。
4 営業上の利益を害されるおそれ
原告営業表示は、原告を含むシャネル社グループが築き上げた高級品のイメージと結びつき、ひいてはシャネル社グループ自体のイメージ、信頼に大きく寄与しているものである。しかし、被告が被告営業表示を使用する行為は、シャネル社の高級なイメージを害すると同時に信用を毀損している。
被告による被告営業表示の使用は、原告を含むシャネル社グループが前記の努力を通じて獲得した原告営業表示の顧客吸引力を侵害するものであり、その結果、原告営業表示のもつ広告宣伝機能を希薄にすると同時に、その知的財産権としての価値を減少させるものである。また、シャネル社グループの今後の多角的な営業活動においても重大な支障となるものであり、原告はその営業上の利益を害されるおそれがある。
5 被告の故意又は過失
被告は、原告営業表示が日本国内で広く認識されたシャネル社グループの営業表示であることを知りながら、若しくは過失によりこれを知らないで、これと類似する被告営業表示を営業表示として使用している。
6 損害
被告の右行為により、原告は少なくとも以下の損害を被った。
(一) 逸失利益 金五八〇〇万円
原告は、被告が「シャネル」を含む営業表示を原告に無断で使用したことにより、原告がその使用を許諾したならば得られたであろう通常使用料に相当する損害を被った。
被告は、昭和四〇年三月から二九年間、「シャネル」の営業表示を使用して被告店舗を営業し、年間二〇〇〇万円の売上げがあるところ、「シャネル」営業表示が極めて著名であり、かつ高級なイメージを与えることに照らせば、通常使用料は売上げの一〇パーセントを下回ることはあり得ないから、通常使用料の合計額は、以下の計算式のとおり、少なくとも、五八〇〇万円を下ることはあり得ない。
2000万円×0.1×29=5800万円
(二) 信用損害 金八〇〇万円
原告を含むシャネル社グループは、原告営業表示について、長年積み上げてきた社会的信用及び高い評価を有するものである。しかるに、被告店舗は、目黒区中目黒駅前のいわゆるガード下に所在する小さな歌謡スナックであり、隣接してスナックやとんかつ屋があるなど、俗にいう「駅前ガード下の飲み屋街」に所在している。同時に、向い側にはスーパーマーケットがあり、全体としては、被告店舗の周辺は極めて人通りの多い駅前繁華街ということができる。
原告を含むシャネル社グループは、多額の投資と長年の努力により、「シャネル」ブランドの高級イメージを築き上げてきたが、被告が右のような状況で「シャネル」の名称を用いて営業を行うことは、「シャネル社」が今までに築いてきた高いブランドイメージ、信用を著しく害することは明らかである。
日本国内におけるシャネル製品の販売を行っているシャネル株式会社が昭和五八年度ないし昭和六〇年度に支出した宣伝広告費は、順次約八億七〇〇〇万円、約一〇億三八〇〇万円、約一二億二四〇〇万円であり、また、同社は、このほか「シャネル」の名称を不正使用しないように警告する広告を新聞紙上に多数掲載している。これらによれば、信用損害の額は金八〇〇万円を下らない。
(三) 弁護士費用 金二〇〇万円
本訴は、不正競争防止法に基づく専門的な事件であるうえ、原告は外国法人であるから、自ら訴訟を提起することが困難であり、法律専門家である弁護士に依頼しなければ解決が困難な事案であること、また原告と原告代理人との連絡に際しては、特にフランス語あるいは英語を解する弁護士を必要とすること、さらに、関係書類の翻訳等に多大な労力や費用を要することを勘案すれば、弁護士費用は金二〇〇万円を下らない。
7 よって、原告は、被告に対し、不正競争防止法に基づき、被告営業表示の使用差止め並びに損害賠償金六八〇〇万円の内金一〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)の事実は知らない。同(二)の事実は認める。
2 請求原因2の事実は知らない。
3 請求原因3(一)のうち、被告営業表示と原告営業表示が類似していることは否認し、その余は認める。同(二)の事実は否認する。同(三)の事実は認める。
4 請求原因4の事実のうち第一段の事実は否認する。第二段の事実は不知又は否認する。
5 請求原因5は否認する。
6 請求原因6は不知又は否認する。
7 請求原因7は争う。
三 抗弁(権利濫用)
1 現在でこそ、近年来のブランド志向によって、日本でも「シャネル」の名称は著名になっているが、被告が被告店舗を開店した昭和四〇年頃は、男性である被告が「シャネル」の名称の周知性を知っていたわけではなく、被告は、ただ、共同経営者が付けた名称をそのまま引き継いだにすぎないものである。
2 原告が、被告店舗の開店以来、二五年以上を経過した今になって、ましてこの不況の時代に、被告店舗の名称の変更を要求することは、被告にとって死活問題である。
(一) 被告が、被告店舗の名称を変更するとすれば、以下の費用及び損害を被る。
(1) 看板の取外し、新規看板の取付けに要する費用 一五〇万円
(2) 三〇年来の顧客に対する挨拶状作成、送付にかかる費用 一五〇万円
(3) 名称変更に伴う宣伝広告にかかる費用 一五〇万円
(4) イメージ刷新のための店舗の前面改装にかかる費用及び工事中の休業補償 三五〇万円
(5) 名称変更による売上低下による損害 六〇〇万円
以上の合計一四〇〇万円にのぼる費用、損害のほか、被告が長年にわたって培ってきた努力が水泡に帰する精神的苦痛は金銭には換算できない。
(二) 被告は、老齢に加えて持病の糖尿病、肝臓病が悪化しており、原告の権利が認められる結果、生活の糧まで失うことになっては、現在大企業に発展した強者である原告の被告のような弱者に対するいじめのような行為である。
3 被告店舗のほかにも、東京都内や伊豆の下田等、全国にシャネルが有名になってから名称を使用しているところはたくさんある。
以上の事情に照らすと、原告の請求は権利の濫用である。
四 抗弁に対する認否及び原告の主張
抗弁事実は否認する。
シャネル社グループは、工業所有権及び著作権の国際的保護を目的とするフランス公益社団法人「ユニオン・デ・ファブリカン」に早くから加入し、営業名称の不正使用をする者等に対し、調査、警告等の手続を行ってきた。しかし、「ユニオン・デ・ファブリカン」東京事務所の人員には限界があり、また、「ユニオン・デ・ファブリカン」は特許庁での商標の管理手続や偽造商品に対する対策も業務としていたので、日本国内に無数に存在する営業表示の不正使用を同団体の力のみで根絶するのは難しい状況であった。そのため、シャネル社グループは、平成四年ころから、原告代理人事務所及びシャネル株式会社に一括して依頼して、シャネルの名称の不正使用への対策を行うこととした。
しかし、「シャネル」の営業表示は、多様な業務に不正に使用されており、その地域的な範囲も日本全国に及んでいるから、一度にこれを解決することは到底無理である。そこで、原告代理人らは、東京等の一定の地域に限定して、活動を進めてきた。
原告が、被告店舗について「歌謡スナックシャネル」を使用していることを知ったのは、平成四年一月ころである。シャネル株式会社の従業員が、これを発見したものである。
原告は、本件訴え提起前に被告と名称変更についての交渉をしたが、被告の態度は「費用も出せないし、長い間使っているので、変えるつもりはない。」といったもので、変更の意思は認められなかった。そこで、原告はやむを得ず、本件訴えを提起したものである。
以上のような、シャネルの営業表示を不正に使用している店数が非常に多数であって、現実的に全ての不正使用行為を一挙に根絶することが不可能な事情、原告が被告の不正使用を発見した時期、その後の経緯等を考慮すると、原告が被告に対し、その営業表示の使用の差止めと損害賠償を求めることは権利の濫用にはあたらない。
第三証拠<省略>
理由
一 当事者及びその営業表示
原本の存在及び成立に争いのない甲第一〇号証、撮影対象が被告店舗の外観であることに争いがなく、弁論の全趣旨により平成五年四月一六日に永田啓が撮影したものと認められる甲第一号証、写真部分の撮影対象が被告店舗のサインボードであることは争いがなく、その余は弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第四九号証、弁論の全趣旨により原本及びその成立が認められる甲第三〇号証及び弁論の全趣旨に当事者間に争いのない事実を総合すると、以下の事実が認められる。
1 原告
(一) 原告は、ガブリエル・シャネルが成立したフランス法人レ パルファム シャネル(現在の商号はフランス法人シャネル エス アー)が製造、販売する商品その他世界中のシャネル社に関して、商標その他の知的財産権を有し、かつ、そのライセンス事業を行うスイス法人である。
(二) 原告の所属するシャネル社グループの起源は、ガブリエル・シャネルが一九一〇年代にフランスのパリ市カンボン通りに帽子店を開店したことに始まる。ガブリエル・シャネルは、一九一六年に第一回目の婦人服コレクションを発表し、さらには、一九二一年にシャネル五番の香水を発表し、前記レ パルファム シャネルという会社を設立してこれらを製造、販売した。以後、シャネル社グループは、シャネルの商標を付した高級婦人服、香水、化粧品、ハンドバッグ、靴、アクセサリー、時計等の商品を原告営業表示又はシャネルの文字を含む営業表示の下に販売している。
2 被告
被告は、東京都目黒区上目黒一丁目二二番一一号において、昭和四〇年三月頃から昭和四二年二月頃まで伊丹カツ子との共同経営で、昭和四二年三月から現在までは被告の単独経営で、被告営業表示を使用して飲食店を経営している。被告店舗は中目黒駅近くのガード下に位置するスナックで、その間口は約三ないし四メートルであり、その近隣ガード下には、スナックやとんかつ屋などの飲食店が並んでいる。被告店舗正面の入口上部には、黄色の文字で横書きに「シャネル」と記載され、また、道路から店舗に向って左端の二階部分には、袖看板が設置され、その上部にはカラオケマイク等の絵が、その下に、小さ目の白い横書きの「歌謡スナック」の文字が、その下に黄色い横書きの「シャネル」の文字がそれぞれ表示されている。
二 シャネル社グループの営業表示の周知性
前記甲第一〇号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第一一号証ないし甲第一三号証、甲第三二号証ないし甲第三五号証、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立が認められる甲第四七号証によれば、次の事実が認められる。
レ パルファム シャネル社は、昭和一〇年から昭和一四年頃にかけて、日本において、香料及び他類に属しない化粧品を指定商品として「CHANEL」の文字をその構成中に含む商標の商標登録を行い、その頃から日本国内でも、香水の販売を開始した。昭和二九年二月、マリリン・モンローが来日した際に、記者団から寝るときの衣装について質問されて「シャネルの五番を着るだけよ」と答えた旨マスコミ等で報じられたことを契機として「シャネル」の名称は全国的に知られるようになり、原告営業表示は、遅くとも昭和三〇年代には香水、化粧品の製造、販売についての営業表示として周知となった。フランス法人シャネル エス アーの日本総代理店であるシャネル株式会社の昭和六〇年度(昭和六〇年一月一日から同年一二月三一日まで)におけるブティック部門の販売価格は三二億〇四〇〇万円、香水、化粧品部門の販売価格は三四億六〇〇〇万円に達しており、原告営業表示は、現在では、香水、化粧品のほか、高級婦人服、ハンドバッグ、靴、アクセサリーの製造、販売についての営業表示としても周知である。
三 原告営業表示と被告営業表示との類似
被告営業表示は「歌謡スナック」の部分と「シャネル」の部分とからなるが、このうち「歌謡スナック」の部分は、比較的小規模の洋酒の提供を主とする飲食店一般を指すものとして広く使用されている「スナック」の語に客に歌謡曲を聞かせ又は歌わせることを意味する「歌謡」の文字を冒頭に付加したものであって、特に識別力を有するものではなく、被告営業表示の要部は「シャネル」の部分にあるものと認められる。そこで、原告営業表示と被告営業表示の要部とを対比すると、称呼において同一であり、また、我国において周知のシャネル社グループの観念を生じる点においても同一である。外観においては、被告営業表示の具体的な使用態様は、前記一2のとおりであって、この外観は、原告営業表示として一般に用いられる文字と外観において類似している。
以上によれば、原告営業表示と被告営業表示とは類似している。
四 原告営業表示と被告営業表示との混同
原本の存在及び成立に争いがない甲第一五号証ないし甲第二五号証によれば、次の事実が認められる。
近年、ファッション業界にも経営の多角化の傾向がみられ、昭和五七年にはアルファキュービック社が外食産業に参入し、昭和六〇年にはワコール社の子会社ワコールアートセンターがタイ料理店を開店し、昭和六一年頃には、フランスのデザイナーであるピエール・カルダンが東京に支店をもつ有名料理店マキシム・ド・パリのオーナーとなったことがそれぞれ報道され、その後、平成元年から平成二年頃には、ファッション業界の会社が飲食店、ホテル、インテリア事業等に進出する傾向が一層強まったことが認められる。
右事実に照らすと、ファッション業界の多角経営は昭和六〇年前後頃から次第に広がり、遅くとも昭和六一年中には、一般消費者においても右多角経営の傾向を知るに至り、被告店舗がシャネル社グループとなんらかの業務上、経済上又は組織上の関係が存在するものと誤認する抽象的な危険が生じたものと認められ、その意味で被告営業表示を使用した被告店舗の営業は、原告を含むシャネル社グループの営業上の施設又は活動と混同を生じるものと認められる。
五 営業上の利益を害するおそれ
前記甲第一一号証ないし甲第一三号証、甲第三三号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第二六号証、甲第三六号証ないし甲第四三号証、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立が認められる甲第四四号証ないし甲第四六号証の各一、二によれば、シャネルの商品表示及び営業表示は、香水、スーツ、アクセサリー等の高級商品の表示及びその営業主体の表示として高級イメージとして定着しており、近年においても、フランス法人シャネル・エス・アーの日本総代理店であるシャネル株式会社が、少なくとも昭和五七年一月頃から昭和六一年頃にかけて、繊研新聞、日本繊維新聞、「ウーマンズ・ウエア・デイリー・ジャパン」紙、日経流通新聞を通じて「ファッションエデイター、コピーライター、広告関係者各位そして、シャネルの名称を誤って使用なさっている方々へのお知らせとお願い」と題する一面広告を掲載し、シャネルの表示の無断使用についての警告を発するなど、シャネル社グループの高級イメージを維持するための営業、広報活動を行っており、このような広報活動等もあいまって、シャネル社グループの高級イメージは維持されていることが認められる。
被告の店舗は、前記のとおり、中目黒駅付近のいわゆるガード下に位置する小さなスナックであって、庶民的なイメージはあっても、シャネルの高級なイメージとはほど遠く、これによってシャネルの高級イメージを希釈し、この点においてシャネル社グループの営業上の利益を害して、ひいては、シャネル社グループの一員である原告の営業上の利益を害している。
これを超えて、原告が売上の減少等の営業上の利益を害された事実を認めるに足りる証拠はない。
六 被告の故意、過失
右四で認定した事実に照らすと、少なくとも昭和六二年以降においては、被告は、被告営業表示の使用により、原告を含むシャネル社グループの営業表示の高級イメージを希釈し、原告の営業上の利益を害することを認識していたか、又はこれを認識しなかったことについて過失があるものと認められる。
七 権利濫用の抗弁について
成立に争いのない甲第二号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第三号証ないし甲第五号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第四八号証及び弁論の全趣旨に当事者間に争いのない事実を総合すれば、以下の事実が認められる。
1(一) シャネル社グループは、企業の商標権、意匠権の保護等を目的としてフランス企業を中心として結成されたユニオン・デ・ファブリカンに早くから加入し、昭和五五年にユニオン・デ・ファブリカン東京事務所が設立されてからは、同事務所が、いわゆるにせブランド商品の発見及びその排除のための措置等をとり、原告営業表示を含む営業表示等の保護を図ってきた。
また、原告自らは、昭和五九年、神戸地方裁判所に対し、興栄商事株式会社を被告としてホテルシャネルの営業表示の使用についての損害賠償請求訴訟(神戸地方裁判所昭和五九年(ワ)第九四号事件)を、同年、福岡地方裁判所に対し、シャネル興産株式会社を被告として、その商号の使用差止め等を求める訴訟(福岡地方裁判所昭和五九年(ワ)第六三号事件)を提起し、いずれも一部勝訴判決を得るなどの訴訟活動を行い、原告の営業表示の高級イメージを維持するための権利行使をしてきた。
その後、ユニオン・デ・ファブリカンの活動にはその人員の制約等もあって限界があるため、原告は、平成四年、シャネルの名称の不正使用者に対する対応を原告代理人事務所に委ね、以後、原告代理人事務所がその仕事にあたっている。
(二) 原告代理人事務所において、原告の関連会社であるシャネル株式会社を通じて、原告営業表示と類似すると判断される表示をシャネル社グループの許諾を得ることなく使用している営業者について調査したところ、東京等の一定の地域に限っただけでも一〇〇店以上に及んでおり、原告代理人事務所においては、警告書を送付するなどの手続を通じて解決を図り、その多くは訴訟に至る前の話し合いによって、自発的に営業表示の変更をさせることにより解決した。
(三) 被告店舗については、平成四年一月頃、シャネル株式会社の従業員がこれを発見し、原告代理人が、平成四年二月及び三月の二度にわたり、被告に対し警告書を送付し、被告営業表示の使用中止を求めたところ、同年三月一七日、被告から原告代理人事務所に電話で連絡があり、その際、被告は原告代理人に対し、「名称変更する意思はなく、金もないので応じられない。」、「長い間使っているので変えるつもりは全くない」旨述べ、別の原告代理人が数日後に電話連絡した際にも、訴訟になってもやむを得ない旨述べた。以上の経過を踏まえて、原告は本件訴えを提起したものである。
2 被告が、昭和四〇年三月頃から共同経営者とともに、昭和四二年三月からは単独で、被告営業表示を使用して被告店舗を経営していることは前記のとおりであり、また、弁論の全趣旨によれば、被告が被告営業表示の使用をやめて他の営業表示に変更するについては、看板の取外しと新規の看板の取付費用、顧客に対する挨拶状作成等に相応の費用を要することが認められる。
しかしながら、被告が「シャネル」の名称の使用を開始する以前から、「シャネル」の名称が周知であったことや、近年のファッション産業分野における企業の多角経営化傾向が前記のとおり一般消費者にも認識されて、ブランドイメージの重要性が社会一般に認識されている状況を考慮すると、被告において、被告標章の使用がシャネル社グループによって容認されているものと認識していたものとは認め難い。
3 以上の事実に基づいて検討するに、被告が三〇年近くにわたって被告営業表示を使用してきたこと、その間、平成四年に至るまで、原告を含むシャネル社グループから被告営業表示を使用しないよう求められたことはなかったこと、その結果、被告が長年被告営業表示を使用し、これによる利益を得てきたものであること、一方、シャネル社グループの許諾を得ることなく「シャネル」の名称を含む営業表示を使用する例は多く、原告を含むシャネル社グループがそれらのすべてを発見し、迅速に対応することは現実的には困難であること、原告を含むシャネル社グループも、全く自己の権利の実現に無関心であったわけではなく、昭和五五年以降はユニオン・デ・ファブリカン東京事務所を通じて、自己の商標権の防衛等にあたり、昭和五九年頃からは、類似の営業表示を使用する者に対して、訴訟を提起していること、被告において、被告標章の使用がシャネル社グループによって容認されているものと認識していたものとは認め難いことなどの事実に照らすと、被告の年齢、持病のあること、また、被告営業表示を変更するについて相応の費用を要することを考慮しても、原告の本訴請求を権利の濫用と認めることはできない。
八 損害
1 逸失利益
原告は、被告が被告営業表示を使用したことにより、通常使用料相当の損害を被ったと主張するが、本件のように、原告の営業上の利益の侵害の内容が主に原告営業表示の高級イメージの希釈化に求められるような場合においては、通常その使用の許諾がなされるものとはとうてい考え難いから、通常使用料相当額をもって損害とする原告の主張は採用することができない。なお、不正競争防止法に基づく損害賠償請求についても、商標法三八条二項を類推適用することは一般的には肯定してよいものと解される。しかし、被告営業表示の使用期間が長期にわたりながら、原告の営業上の利益の侵害の内容が主に原告営業表示の高級イメージの希釈化に求められるにすぎない本件においては、後記のとおり、信用毀損による損害を具体的に認定することができるから、損害の認定としてはこれをもって足りるものと認められ、商標法三八条二項の類推適用の余地はない。
2 信用損害
被告営業表示の使用により、シャネル社グループはその営業表示から生じる高級イメージを害され、ひいては、原告がその営業上の利益を害されたことは前記のとおりであり、これによりシャネル社グループの知的財産権を管理する原告は、その信用を害されたものと認められる。その損害の数額については、原告の営業内容、シャネル社グループの我国における営業利益の額、被告の業種、営業規模及びそもそも損害算定の対象となる被告の行為は民法七二四条後段により本件出訴前の二〇年間に限られ、しかも、前記のとおり、本件証拠上原告営業と被告営業とについてなんらかの業務上、経済上又は組織上の関係があるのではないかとの混同を生じるようになったと認められるのが昭和六二年からであること等を考慮すると、これにより原告が被った損害額は金八〇万円と認めるのが相当である。
3 弁護士費用
本件事案の内容、右損害の認容額、本件訴訟の経過等を考慮すると、被告の行為と相当因果関係のある弁護士費用の額は金二〇万円と認めるのが相当である。
九 以上によれば、原告の請求は、「シャネル」の営業表示の使用差止め並びに金一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成五年二月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、この限度でこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、仮執行宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。